資格(国家資格)
柔道整復師、鍼師、灸師、
按摩マッサージ指圧師
資格(整体民間)
妙見活法整体、真体療法、BRM療法士、JRC療法士
山本操法、無形エネルギー療法
資格(コーチング)
潜在意識化コーチング
資格(運動)
元PHIピラティスマットⅠ&Ⅱトレーナー
柔道二段 見た目では誰も信じてくれません(笑)
どんな想いで施術をしているか
当院には難治性の症状でお悩みの方、遠方から紹介でこられる方や、
病院や他の整骨院や整体院、マッサージにいっても良くならない方が来られます。
そういった方々は本当に辛そうな表情をされているので、
私はその方々が辛い症状で日常どんなことで困っているのか、辛いのか、
その症状があるためにどんなことを我慢されてきたのかということを考えます。
そして辛い症状がなくなった時、我慢していたことができるカラダになった時、
どんなに喜んでくれるんだろうと想像して、
その喜んでくれている姿が1日でも早く現実になるように!という想いで日々施術にあたっています。
【生まれて現在まで・・・幼少期】
私は両親と兄2人、妹1人の6人家族の三男です。
出産の際に「また男か!」と一番残念がられて生まれてきました(笑)
幼少期は兄2人を追いかけて勝手にライバル意識をもっていました。
この頃から自他共に認める負けず嫌いだったので、兄と競って負けるたびにいつも怒って泣いての毎日で、1番手のかかる子供だったそうです。
【学生時代】
学生時代は毎日スポーツばかりしていました。
見た目では想像できないと言われるのですが、中学校はラグビー、高校は柔道をずっとしていましたが、当時から「私でも勝てそう」と女子に言われていました。
二段で黒帯だと伝えてもあまり信じてもらえません(苦笑)
【治療家になったきっかけ】
私が治療家を目指すきっかけは母方の祖父がマッサージ師で、自宅で患者さんや家族を治療している姿を見て「この仕事楽しそうだな!」と思ったのがきっかけでした。
自分の耳に生えてる耳毛に宇宙のパワーが宿ってるとか
自分が稼いだお金は全て競艇に使ってるとか(家族内の噂)
麻雀のゲームを渡したら何年もそのゲームばかりしてたとか
ちょっと変わった祖父でしたが、いつもニコニコして怒ったところを見たことがない優しい祖父でした。
私の記憶ではただ1度、子供のいたずらで宇宙のパワーが宿ってるといってた耳毛を抜いた時は本気で怒っていました(笑)
【治療家として目標ができた瞬間】
私が治療家を目指したことを祖父も喜んでくれていたのですが、色々教わる前に肺癌で亡くなってしまいました。
その肺癌で入院しても亡くなる間際まで医師や看護師、同室の方などにマッサージをして喜んでもらっていたそうです。
そして亡くなってから2年間は予約の電話があり、多くの方が残念がられたそうで、1度施術してもらったらしばらく症状がでないと、すごく評判がよかったそうです。
他にも祖父が施術していておさまっていた祖母の膝の痛みがひどくなってきたり、本当に人の役に立ってた人なんだなと感じ、この時に私の【身近な人を生涯健康にする】という目標の治療家像ができました。
【失望した治療家のスタート】
これから治療家人生が始まると働きだした時に衝撃を覚えました。
祖父のような治療をしてるのかと思っていたら、電気をつけてマッサージして終わり。
いつも同じ症状の人が治らず世間話に来るという毎日。
専門学校の友人や周りに聞いても答えはみんな同じ。正直失望しました。
ですが一緒に働いてる先輩も患者さんも本当にいい人たちでかわいがってもらい、右も左もわからない自分にたくさんのことを教えてくださいました。本当に感謝しています。
何年か頑張り、その職場でだいたいのことは任せてもらえるようになり自信もついてきました。
そんな時ある出来事が起こりました。
母と2人で曾祖母のお見舞いにいくために病院にいった時、曾祖母は足が痛い、足が痛いとずっと私に訴えかけてきました。
どうすればいいのかわからず、ただ痛いといっている足をずっとさすることしかできなかったのです。整骨院ではだいたいのことは任されるようになったのに。
その時に昔自分が目指そうとしていた治療家像が頭をよぎりました。
【身近な人を生涯健康にする】
自分は今までなにをしていたんだ!その時悔しくて泣いてしまいました。
【本当の治療家人生のスタート】
そこから本気の治療家人生がスタートしました。
勤めていたところを辞めて全く違う特色の治療院でいくつか働きました。
・捻挫や骨折がたくさん来る整骨院
・ジムを併設している整骨院(ここでパーソナルトレーナーとしても働いていました)
・鍼を中心とした施術をしている施術院
・整体を中心とした整骨院
他にも自分で勉強やセミナーにも色々いきました。
その中で世の中には本当に治したい!と思って同じ様に勉強している人がたくさんいることがわかり、ますます仕事が楽しくなってきました。
そんな中、私には師匠と呼ばせて頂いてる方が3人できました。
【1人目の師匠】
野村 忠 師匠
平成25年に開業してすぐに今でもお世話になっている方とのつながりで1人目の師匠に出会いました。
「この世に治せないものなんてない」
そう信じて治すことだけを何十年追求してきた方で、今では【伝説の治療家】と言われている治療家で、今でも技術、人間性ともに尊敬できる師匠です。
こんな疾患まで治療対象になるの!?治せるようになるにはここまで追求しないといけないんだ!!と自分の今までの常識が一気に覆されたのと同時に、治せる結果が出だして仕事がドンドン楽しくなっていきました。
その師匠に約3年教わり、同じ弟子仲間とその師匠が開業している宮崎県にも何度か足を運び技術を磨きました。
野村師匠のお陰で本当にたくさんの症状に対応できるようになりましたが、癌で亡くなられました。
野村師匠も祖父と一緒で癌で亡くなられる直前まで患者さんの施術を続けられていました。
私にとって本物の治療技術と治療家としての格好良さ、生き様を教えていただいた方です。
【2人目の師匠】
千葉 吉胤妙星 師匠
そんな中2人目の師匠と出会いました。きっかけは治療仲間の紹介で平成28年8月から教わり始めました。
「ひと触れで治す」
という超人的な方で難病の方や難治性の症状の方を大勢治療されている先生で、手技治療においては私は世界レベルのスゴイ治療家だと思っています。
千葉師匠には本物の治療である「ひと触れ」の奥深さ、こだわり、理、治療家としての在り方、考え方、人間の不思議な法則性など本当にたくさんの現代医学や科学では解明されていない事実を教えていただき、現代の常識はあくまで現時点で解明されているものだけで、本当は間違っていることもたくさんあるということを知りました。
千葉師匠は私の固定観念を破壊してくれて、治療家人生を根本から変えて頂いた方です。
【3人目の師匠】
宮野 博隆 師匠
この方は現在師事している先生で、
「世界NO.1の治療理論」
をお持ちの先生です。
国際的にも認められていて、宮野先生が国際学会で発表した論文は日本人で唯一研究大賞を受賞されました。
本来は体はどうあるべきなのか
なぜ体が悪くなるのか
どうすれば良くなるのか
それを細かく理論的に説明してくださり、治療技術、治療理論ともに世界レベルを教えていただきました。
本当に難しい技術で現在も毎月2週目の日曜日には1日宮野先生の技術セミナーでみっちり技術を教わっているのですが、まだまだ師匠の足元にも及びません。(その周辺は予約がとれづらくご迷惑をおかけしますがよろしくお願いします。)
技術は日進月歩、今も師匠の元で学ばせていただいているので、毎月技術が高まり、対応症状の範囲も増えています。
もしあなたがなかなかよくならない、もうあきらめかけている症状でお困りだったり、手術を本当に避けたい、病院で原因不明と言われて困っているのなら1度ご相談ください。
誠心誠意施術をさせていただきます。